『太陽』もいいけど『QA』もね!【新保信長】 連載「体験的雑誌クロニクル」26冊目
新保信長「体験的雑誌クロニクル」26冊目
そして、何といっても同誌の肝は、毎号30ページ前後を割いて展開されるQ&Aコーナーだ。読者から寄せられる疑問はさまざま。〈本籍って、なんのために必要なの?〉〈パレスチナ人とは、何人なのか?〉といった比較的真面目な疑問もあるが、個人的に惹かれるのはくだらない疑問のほうだ。
〈鳥も寒いと鳥肌になるの?〉〈ドドメ色ってどんな色〉〈イカのスミは食べられるのに、タコのスミの料理がないのはなぜ?〉〈「ツーといえばカー」のツー・カーとは?〉〈手術の縫合は何縫い?〉〈タヌキの置物にメスはいないの?〉〈耳たぶって何のためについているの?〉〈動物にもツムジはあるのか?〉〈ねじにはなぜプラスとマイナスがあるのか?〉……と例を挙げればキリがないが、回答よりも「よくそこに疑問を抱いたな」という目のつけどころに感心する。
「QAの出発点としては、ある種『百科事典のアフターケア誌』みたいな要素がありまして、百科事典に載らないような素朴な疑問を集めて雑誌にするというコンセプトだったんです」と語るのは、1986年1月号から休刊までの編集長を務めた石川順一氏(『SPY』1991年2月号より・以下同)。「創刊1年目に『国民の疑問大賞』というのをやって、佳作になったものに『コンブは海のなかでなぜダシがでないのか』というのがありまして(笑)。実はこの発想がQAの本質なんだと思うんです」とも述べており、まさに「すべてはギモンに始まる」というキャッチコピーどおりである。
特集に関しても「世の中で常識と思われてることがはたして本当なんだろうか、ということが特集テーマを設定するときの基本姿勢なんです」と同氏は言う。当然、テーマによって売れ行きに差はあり、「昨年(1990年)は『天皇』『大阪』『宗教』の特集がよく売れました。いままでで一番売れたのは’89年2月号『危ない食品』の特集です。ハードなテーマの方が売れるみたいですね」とは、意外なようで納得な気もする。
が、そんな『QA』も1993年4月号にて休刊してしまう。特集は「お笑いのカガク」で、「休刊準備号 笑って許して!」とのサブタイトルも付いている。「準備号」というから、もう1号出るのかと思ったら、この号でジ・エンドだった。創刊以来の執筆者や協力者、カメラマンやイラストレーター、デザイナー、歴代編集部員の名前が3ページにわたってズラリと並ぶ「SPECIAL THANKS」は壮観。残念ながら、そこに私の名前はないのだが。

『QA』休刊後、石川順一氏は『太陽』の編集長に就任する。編集部員のうち数人は『SPA!』編集部に転職した。なぜそんなことを知っているかというと、ちょうどその頃、私も『SPA!』編集部で仕事をするようになったから。元『QA』つながりのライターも何人か『SPA!』に流れてきていて、ちょっとした“QA閥”ができていた。前出の石川編集長インタビューも私が取材した記事だ。そんな縁もあって、『QA』には(仕事をしたこともないのに)勝手に親近感を持っている。
その後、平凡社では『太陽の地図帖27 諸星大二郎「暗黒神話の旅」』で諸星氏のインタビューを担当した。一応、「太陽」と名の付くもので仕事ができてうれしかったが、『QA』にもいっちょ嚙みしたかったなーという気持ちはある。
もっとも、私が『SPA!』でやっていたページは日常の素朴な疑問からスタートする企画が多かったので、その点では『QA』の衣鉢を継いでいたのかもしれない。
文:新保信長

